お花の国のふふふの日記

花組にちょっと偏った私の宝塚日記 れいまい大好き♡

鴛鴦歌合戦の考察(礼三郎編)

鴛鴦歌合戦は楽しく笑って それで みんな幸せ!って それでいいんですよ


本当に笑ってそれでいいのに

なぜか 引っかかる

皆さん、引っかかりません?


なぜ「かみしもつけて」って2回も言うの?

なぜ「惚れてはいけないと〜」って悲しそうに歌うの?

なぜ「幸せになっちゃいけないと思ってる」ってお春さんに礼ざさんは言われるの?

なぜ 母上との再開で柚香さんは泣くほどの解釈をしたの?



私は柚香さんの解釈の礼ざさんにまで到達していないな?と思うと ちょっと考えたくなってきました。


私が自分で考えた想像のことなので それでも良ければお読み下さい。


礼三郎「裃(かみしも)付けて昔の暮らしに帰るのが嫌なんですよ」←藤尾殿との縁談を綺城おじに勧められお春さんと和海狂斎さんに話すところ


昔は 裃つける暮らしをしていたということよね?裃(上下とも書く)とは 聖乃さんやまるくんみたいな肩の尖ったああいう武士の衣服のことらしい。え?れいざさんがあの格好をしていたの?え?観たいんだけど(笑)←そっち?

綺城さんのお兄さんなのだから れいざさんの育ての親のお父さんは身分も高かったはず。でも人が良すぎて稼いだ金も全部人のために使っちまうもんだから、悪い奴らにもつけ込まれて貧乏暮らしで散々苦労した〜とれいざさんのセリフ。

人の良い父親に対し 欲深く人のものまで取ってやろうとする人達がいて そういう人が身分やお金を欲する暮らしは心を失っているのを見ていたのかもしれない。そこは金持ちは嫌だ。こんな茶番に巻き込まれるのは嫌だ〜につながるのだろう。そうして 何かを欲することを悪いことと礼ざさんは心を閉ざしてしまったのだろうか。


スポットライトから一人で歌うシーンだけれど あの「惚れてはいけないと〜」って歌うところが好きすぎて流し目が圧倒的すぎて百回でも聞きたい観たい私ですが 冷静になってよくよく聞くと なかなか味のある含んだ歌詞です。


通り雨の傘の下で

こぼれた笑顔 春ひとつ

日毎夜毎 胸に浮かぶ

忘れられない2人傘

惚れてはいけないと

心に秘めた面影に

消えたはずの埋火が

この身 焦がす

熱を冷ますよに

かざす恋日傘


なんで熱を冷まさなきゃいけないのよ!れいざさん グイグイいって!って声がしそうです。

でもこの後 おとみちゃんの傘をわざとおはるさんにみせて 諦めさせようとしてるのか なんかはっきりしない れいざさんのシーンになります。


このお芝居を観て

「れいざさんがおはるちゃんを好きかどうかがわからない」という声もありました。

私も初めは 昔の日本男子だからそんなものかな、と思っていたのですが こうして考えてみると れいざさんは お春さんを好きだけどその気持ちを抑えようとしているように思います。


〇〇したい

〇〇なりたい

〇〇ほしい

等という欲求にまみれて みっともない事になっている人をたくさん見たのでしょうか?


何も欲しないのが美徳なのか 

自分は色んなものを欲してはいけないと思っているのか


山寺でひっそりと暮らす蓮京院様に対し

「殿のご母堂だというのに、この質素な暮らし、感服いたします」とれいざさんは伝えています。

ここは 上記のような色んな思いを抱えたれいざさんにとって ホッとする場だった気がします。


お春さんはいつも骨董狂いの父親のせいで一生懸命傘を作っても 白いご飯が食べられず麦こがしばかり。対して おとみちゃんは 日傘をさして取り巻きを連れてお土産のお菓子を持ってきれいな着物を着て現れます。


「日傘さす人作る人」


まさにこの言葉通りなのですが

れいざさんの心は想像以上に固く閉じていることがラストでわかります。


1万両の壺を持っていることがわかり喜んでいると


「誠にばかばかしくございます。ただの香合、ただの壺、ただの殿にただの人、金もただせばただの金。生きる死ぬとは比べ物になりませぬ。」


そう、ここでれいざさんがずっと思っていたことをはっきりと口にします。ついに爆発した瞬間なのでしょう。

そしてさらに

「お春さん 私は金持ちは嫌いだ。お前さんは金持ちを好きなお人と一緒におなりなさい。私は引っ越しだ。」


なんということでしょう。お春さんへの気持ちはあるはずなのに れいざさんの心はなんて頑ななのでしょう。


それを壊したのが お春さんの壺を割るという偉業です。これくらいのことをしてやっとれいざさんもまわりの人も気づくんですね。


「あたしゃ今こそ知りました。お金なんぞがなんでしょう。愛の珠玉の尊さは永遠に曇らぬ光なの。」←永遠と光が入ってるのも深読みしたくなる。このお話を通して小柳先生が伝えたいことを盛り込んでいるように感じます。


そしてお春さんは

「幸せになっていいのよ。誰だって幸せになっていいのよ。だからつらい過去も責める気持ちもあの壺みたいに割ってしまって、中から出てきた本当の心を大切にしましょう」と。

やはりお春さんがれいざさんの心を溶かしたんですね♡


れいざさんの心が溶けて 母上とわかった蓮京院様と向かい合うとき れいざさんは何を思ったのでしょう?

親に捨てられ 自分が何者かもわからない 自分は不要なものかもしれないと思っていたのだとしたら?

そして母上と会い 母が自分が生きていると信じてくれていて 母から愛されていると感じられたなら どうでしょう?


それなら 涙を流すのも 私はわかる気がします。


柚香さん この解釈で少しは近づけましたか?

少しでも近づいていたら良いな。